本日、第11回定期演奏会に向けて最後の練習でした。短期集中で取り組んできた楽しい音楽の時間もあと僅かと思うと、早くも寂しい気持ちが入り交じって複雑な心境であります。
練習の録音を聞き直して復習してみると、取り組んできた課題が克服されてきた充実感、手応えもあり、来週末が本当に楽しみです。たくさんのお客様とこの幸せを共有できたら嬉しいです。
チケットはまだまだ余裕があります、前売り券はイープラス(ネットまたはFamiポート)でお求め頂けます。また当日券も十分な数をご用意して皆様のご来場をお待ちしております。
2019年8月19日月曜日
2019年8月17日土曜日
あと1週間
いよいよ第11回定期演奏会まであと1週間となりました。
明日の最終練習に向けて、今日は弦セクションと管セクションに分かれての分奏を行いました。弦は3週間前と同じく丸山先生にご指導をお願いし、さらに充実した練習が出来ました。
前回から言われているスモールボウは引き続きの宿題となった箇所もありますが、良いフレージング、良い響きを出せるようになりつつあります。各自でブラッシュアップしてステージに持っていきたいですね。
また、演奏会でお配りするプログラムも納品されました、いよいよだな、という感じで気分も高まります。残りわずか1週間ですが、良い準備をして臨みたいと思います。
皆様のご来場をお待ちしております。チケットはお近くの団員、イープラス(ネットまたはFamiポート)からお求めください。当日券もご用意する予定です。
明日の最終練習に向けて、今日は弦セクションと管セクションに分かれての分奏を行いました。弦は3週間前と同じく丸山先生にご指導をお願いし、さらに充実した練習が出来ました。
前回から言われているスモールボウは引き続きの宿題となった箇所もありますが、良いフレージング、良い響きを出せるようになりつつあります。各自でブラッシュアップしてステージに持っていきたいですね。
また、演奏会でお配りするプログラムも納品されました、いよいよだな、という感じで気分も高まります。残りわずか1週間ですが、良い準備をして臨みたいと思います。
皆様のご来場をお待ちしております。チケットはお近くの団員、イープラス(ネットまたはFamiポート)からお求めください。当日券もご用意する予定です。
演奏会は8月24日(土)13:30開演ですので、お時間お間違いのなきよう、お願い致します。
2019年8月12日月曜日
曲目解説(3)
<ベートーヴェン 交響曲 第8番 へ長調 作品93>
交響曲と言う形式が完成され始めた頃、その完成度を最高潮までに高め、更に様々な可能性を見出した作曲家がベートーヴェンでしょう。9つ書かれた交響曲は各々個性が違い、新しい試みが積み込まれ、まるで交響曲の標本のように思われます。
では、今回演奏いたします第8番ですが、この交響曲標本箱の中ではテーマもなく、大きな特徴もなく、古典的でコンパクトなピースです。おっと!決っしてつまらないものと言いたいわけではなく…個人的には標本箱の中で最も好きです。劇的なインパクトや目新しい仕掛けなど個性が光る作品達の中、無色透明でシンプルに輝くダイヤモンドのような。
初演は、1814年の2月27日、交響曲第7番などとともに演奏されました。前年の12月にop.92となる第7番の交響曲を発表しており、この2つの曲は、1812年前後の2・3年位の同時期に書かれたそうです。新曲の初演だと言うのに聴衆の人気は7番のほうに集中してしまいベートーヴェンは「聴衆が8番を理解できないのはこの曲があまりに優れているからだ」と語ったそうです。
第1楽章 Allegro vivace e con briocon brio
(快活に)とあるように、華々しい3拍子。第5番(運命)の時の出だしのように、
主題となるフレーズがいきなりtuttiで演奏され、とても効果的に華やかな曲の
イメージを印象付けています。
第2楽章 Allegretto scherzando
まるで時計のように木管がリズムを刻む中、弦がメロディを歌います。
第3楽章 Tempo di Menuetto
複合三部形式(A_B_A)のメヌエット。よく取り入れる楽式ではありますが、
ベートーヴェンが交響曲の楽章として用いたのは、この曲のみです。
第4楽章 Allegro vivace
印象的な早い6連符のリズムより構成される。sfが多用され強弱が激しく
入れ替わったり、意表をつく転調があったり疾走感のある軽快な曲です。
この曲全体に言えることですが、華やかさと疾走感を感じます。それはメロディが…と言うより伴奏、内声のリズムが大きく関係していると思います。そこが作曲家ベートーヴェンの腕の見せ所と言っても良いかも知れません。メロディだけ切り取ってみると、特別心打たれるような劇的なフレーズだったりするわけでもなく、簡単で誰もが歌いやすいモチーフ、時には単純な音階であったりします。そこを内声が彩るわけですが、ベートーヴェンはここぞ!と言う所で、とにかく和音をキャベツの千切りのよう細かく刻ませる。和音の連打連打で…盛り上がって行くと、メロディまでつられて刻ませちゃう。
そう言えば、カッティングが細かいダイヤモンドはより多くの光を取り入れ輝きを増すとか。ベートーヴェンの絶妙なカッティング技に、是非注目してみて下さい。
さて、ベートーヴェンには、珍しく!?︎この明るく軽快な曲が書かれた背景には、彼の人生の中でも最も充足していたであろう日々が影響していると思われます。パトロンである侯爵に対して「これまで侯爵は数限りなくいたし、これからももっと数多く生まれるだろうが、ベートーヴェンはこの私一人だけだ!」と言ったそうな。作曲家として順風満帆、自信に満ちた活動がされていたことでしょう。また、実は恋多きベートーヴェン。この頃も素敵な女性がいたようです。今のご時世では、謝罪会見ものの恋に身を焦がしていたようです。
ベートーヴェンの死後、机の中からこの頃書かれた3通の手紙が見つかります。宛て先は『不滅の恋人』。一体誰なのか(候補が10人位いるらしい)。そして、その情熱的な内容と、なぜ送られることなく長い間しまわれていたのかが、興味をそそられ、映画や小説に取り上げられたり。未だに解明されない謎として研究され続けております。
なお、彼の9つ書かれた交響曲のうち、この第8番のみ誰にも献呈されませんでした。贈られることのなかった曲とラブレター、どことなく他では見られないベートーヴェンの内面に触れられたような気がして感慨深いです。
交響曲と言う形式が完成され始めた頃、その完成度を最高潮までに高め、更に様々な可能性を見出した作曲家がベートーヴェンでしょう。9つ書かれた交響曲は各々個性が違い、新しい試みが積み込まれ、まるで交響曲の標本のように思われます。
では、今回演奏いたします第8番ですが、この交響曲標本箱の中ではテーマもなく、大きな特徴もなく、古典的でコンパクトなピースです。おっと!決っしてつまらないものと言いたいわけではなく…個人的には標本箱の中で最も好きです。劇的なインパクトや目新しい仕掛けなど個性が光る作品達の中、無色透明でシンプルに輝くダイヤモンドのような。
初演は、1814年の2月27日、交響曲第7番などとともに演奏されました。前年の12月にop.92となる第7番の交響曲を発表しており、この2つの曲は、1812年前後の2・3年位の同時期に書かれたそうです。新曲の初演だと言うのに聴衆の人気は7番のほうに集中してしまいベートーヴェンは「聴衆が8番を理解できないのはこの曲があまりに優れているからだ」と語ったそうです。
第1楽章 Allegro vivace e con briocon brio
(快活に)とあるように、華々しい3拍子。第5番(運命)の時の出だしのように、
主題となるフレーズがいきなりtuttiで演奏され、とても効果的に華やかな曲の
イメージを印象付けています。
第2楽章 Allegretto scherzando
まるで時計のように木管がリズムを刻む中、弦がメロディを歌います。
第3楽章 Tempo di Menuetto
複合三部形式(A_B_A)のメヌエット。よく取り入れる楽式ではありますが、
ベートーヴェンが交響曲の楽章として用いたのは、この曲のみです。
第4楽章 Allegro vivace
印象的な早い6連符のリズムより構成される。sfが多用され強弱が激しく
入れ替わったり、意表をつく転調があったり疾走感のある軽快な曲です。
この曲全体に言えることですが、華やかさと疾走感を感じます。それはメロディが…と言うより伴奏、内声のリズムが大きく関係していると思います。そこが作曲家ベートーヴェンの腕の見せ所と言っても良いかも知れません。メロディだけ切り取ってみると、特別心打たれるような劇的なフレーズだったりするわけでもなく、簡単で誰もが歌いやすいモチーフ、時には単純な音階であったりします。そこを内声が彩るわけですが、ベートーヴェンはここぞ!と言う所で、とにかく和音をキャベツの千切りのよう細かく刻ませる。和音の連打連打で…盛り上がって行くと、メロディまでつられて刻ませちゃう。
そう言えば、カッティングが細かいダイヤモンドはより多くの光を取り入れ輝きを増すとか。ベートーヴェンの絶妙なカッティング技に、是非注目してみて下さい。
さて、ベートーヴェンには、珍しく!?︎この明るく軽快な曲が書かれた背景には、彼の人生の中でも最も充足していたであろう日々が影響していると思われます。パトロンである侯爵に対して「これまで侯爵は数限りなくいたし、これからももっと数多く生まれるだろうが、ベートーヴェンはこの私一人だけだ!」と言ったそうな。作曲家として順風満帆、自信に満ちた活動がされていたことでしょう。また、実は恋多きベートーヴェン。この頃も素敵な女性がいたようです。今のご時世では、謝罪会見ものの恋に身を焦がしていたようです。
ベートーヴェンの死後、机の中からこの頃書かれた3通の手紙が見つかります。宛て先は『不滅の恋人』。一体誰なのか(候補が10人位いるらしい)。そして、その情熱的な内容と、なぜ送られることなく長い間しまわれていたのかが、興味をそそられ、映画や小説に取り上げられたり。未だに解明されない謎として研究され続けております。
なお、彼の9つ書かれた交響曲のうち、この第8番のみ誰にも献呈されませんでした。贈られることのなかった曲とラブレター、どことなく他では見られないベートーヴェンの内面に触れられたような気がして感慨深いです。
(ヴァイオリンA)
2019年8月11日日曜日
曲目解説(2)
<エルガー チェロ協奏曲 ホ短調 作品85>
バロック時代に活躍したヘンリー・パーセルのあと、イギリスには長い間、世界的な作曲家が現れませんでした。エドワード・エルガー(1857−1934)は、まさに待ち望まれた国民的作曲家だといっていいでしょう。彼は、ウスターソースの名前のもとになったイングランド中西部の町ウスターにほど近い小さな村に生まれました。父親はピアノ調律師で教会のオルガニスト。ヴァイオリンも玄人はだしの腕前でした。母親は文学好きで、エドワードに深い愛情を注ぎ、大きな影響を与えたといわれています。
エルガーは、幼いころからピアノやヴァイオリンを習い、作曲を始めてはいたものの、家が貧しかったため、正式な音楽教育は受けていません。ほとんど独学で作曲を身につけた彼が、初めて名声を得たのは、41歳のとき、「エニグマ変奏曲」によってでした。
エルガーは32歳のとき、8歳年上のアリス・ロバーツと結婚します。婚約の記念に彼女に贈った曲が「愛の挨拶」でした。アリスの両親の反対を押し切っての結婚だったため、彼女は親から勘当されてしまいますが、生涯を通じて、エルガーに献身的に尽くしました。マネージャー役を務め、夫が落ち込んでいれば慰め、作品に対して的確な助言を与え続けたのです。
「エニグマ変奏曲」で世に出てからも、作曲家としてのエルガーは、順風満帆だったわけではありません。1908年、53歳のときに発表した交響曲第1番は大喝采を受けたものの、2年後の交響曲第2番はさほど評価されず、さらに2年後の交響的習作「フォルスタッフ」はさらに不評でした。彼の作品は、もはや古くさいものと受け取られていたのです。そして第一次世界大戦が、彼の気力の減退に追い打ちをかけます。
エルガーの創造力が最後の輝きを見せたのは、彼が60歳を迎えた1917年以降のことでした。このころ、妻のアリスの体調が優れなかったため、夫婦はイングランド南部のウェスト・サセックス州の山荘を借りて、ロンドンから移り住みます。二人にとってお気に入りの環境でした。エルガーは「森の木々がぼくの曲を歌っている。いや、ぼくが彼らの歌をうたうのだろうか」と語り、アリスは「森の魔法」と呼びました。ここで、ヴァイオリンソナタ、弦楽四重奏曲、ピアノ五重奏曲などの美しい作品群が次々に生まれ、1919年、最後にできあがったのが、きょうお聴きいただくチェロ協奏曲なのです。けれどもその明くる年、アリスは71歳の生涯を終えます。最愛の人の死に打ちのめされたエルガーは、その後、二度と大きな作品を仕上げることはできませんでした。
チェロ協奏曲は、初演のときには、練習時間が不足していたためもあって、評判は芳しくありませんでした。けれども、この曲を最初に録音した女性チェリスト、ビアトリス・ハリスンが何度も根気よく採り上げたこともあって、だんだんと人気を博するようになりました。
第1楽章 アダージョ〜モデラート。いきなり独奏チェロが最強音で重音を奏し、おごそかなレチタティーヴォで幕を開けます。アリスの死を予感するような、悲痛な響 きのこもった、きわめて印象的な導入部です。ヴィオラがひそやかに奏でた第一主題を独奏チェロが引き継いで歌い上げたあと、木管楽器に導かれて第二主題が現れます。
第2楽章 レント〜アレグロ・モルト。第1楽章から切れ目なしに演奏されるスケルツォ風の楽章です。といっても、軽い冗談というより、焦燥感をかきたてられるようです。 独奏チェロの繊細な技巧が聴きどころでしょう。
第3楽章 アダージョ。あこがれの思いを込めた優しい歌を、独奏チェロが、長い息づかいでうたい続けます。
第4楽章 アレグロ〜モデラート〜アレグロ・マ・ノン・トロッポ〜ポコ・ピウ・レント〜アレグロ・モルト。オーケストラが生き生きと奏でる第一主題に続いて、独奏チェ ロのカデンツァへ移ります。甘やかな第二主題が現れたあと、第3楽章を思わせるようなゆるやかな歌がよみがえります。最後は、第1楽章の冒頭のレチタティーヴォ を回想して、緊迫感が保たれたまま、曲は閉じられます。
バロック時代に活躍したヘンリー・パーセルのあと、イギリスには長い間、世界的な作曲家が現れませんでした。エドワード・エルガー(1857−1934)は、まさに待ち望まれた国民的作曲家だといっていいでしょう。彼は、ウスターソースの名前のもとになったイングランド中西部の町ウスターにほど近い小さな村に生まれました。父親はピアノ調律師で教会のオルガニスト。ヴァイオリンも玄人はだしの腕前でした。母親は文学好きで、エドワードに深い愛情を注ぎ、大きな影響を与えたといわれています。
エルガーは、幼いころからピアノやヴァイオリンを習い、作曲を始めてはいたものの、家が貧しかったため、正式な音楽教育は受けていません。ほとんど独学で作曲を身につけた彼が、初めて名声を得たのは、41歳のとき、「エニグマ変奏曲」によってでした。
エルガーは32歳のとき、8歳年上のアリス・ロバーツと結婚します。婚約の記念に彼女に贈った曲が「愛の挨拶」でした。アリスの両親の反対を押し切っての結婚だったため、彼女は親から勘当されてしまいますが、生涯を通じて、エルガーに献身的に尽くしました。マネージャー役を務め、夫が落ち込んでいれば慰め、作品に対して的確な助言を与え続けたのです。
「エニグマ変奏曲」で世に出てからも、作曲家としてのエルガーは、順風満帆だったわけではありません。1908年、53歳のときに発表した交響曲第1番は大喝采を受けたものの、2年後の交響曲第2番はさほど評価されず、さらに2年後の交響的習作「フォルスタッフ」はさらに不評でした。彼の作品は、もはや古くさいものと受け取られていたのです。そして第一次世界大戦が、彼の気力の減退に追い打ちをかけます。
エルガーの創造力が最後の輝きを見せたのは、彼が60歳を迎えた1917年以降のことでした。このころ、妻のアリスの体調が優れなかったため、夫婦はイングランド南部のウェスト・サセックス州の山荘を借りて、ロンドンから移り住みます。二人にとってお気に入りの環境でした。エルガーは「森の木々がぼくの曲を歌っている。いや、ぼくが彼らの歌をうたうのだろうか」と語り、アリスは「森の魔法」と呼びました。ここで、ヴァイオリンソナタ、弦楽四重奏曲、ピアノ五重奏曲などの美しい作品群が次々に生まれ、1919年、最後にできあがったのが、きょうお聴きいただくチェロ協奏曲なのです。けれどもその明くる年、アリスは71歳の生涯を終えます。最愛の人の死に打ちのめされたエルガーは、その後、二度と大きな作品を仕上げることはできませんでした。
チェロ協奏曲は、初演のときには、練習時間が不足していたためもあって、評判は芳しくありませんでした。けれども、この曲を最初に録音した女性チェリスト、ビアトリス・ハリスンが何度も根気よく採り上げたこともあって、だんだんと人気を博するようになりました。
第1楽章 アダージョ〜モデラート。いきなり独奏チェロが最強音で重音を奏し、おごそかなレチタティーヴォで幕を開けます。アリスの死を予感するような、悲痛な響 きのこもった、きわめて印象的な導入部です。ヴィオラがひそやかに奏でた第一主題を独奏チェロが引き継いで歌い上げたあと、木管楽器に導かれて第二主題が現れます。
第2楽章 レント〜アレグロ・モルト。第1楽章から切れ目なしに演奏されるスケルツォ風の楽章です。といっても、軽い冗談というより、焦燥感をかきたてられるようです。 独奏チェロの繊細な技巧が聴きどころでしょう。
第3楽章 アダージョ。あこがれの思いを込めた優しい歌を、独奏チェロが、長い息づかいでうたい続けます。
第4楽章 アレグロ〜モデラート〜アレグロ・マ・ノン・トロッポ〜ポコ・ピウ・レント〜アレグロ・モルト。オーケストラが生き生きと奏でる第一主題に続いて、独奏チェ ロのカデンツァへ移ります。甘やかな第二主題が現れたあと、第3楽章を思わせるようなゆるやかな歌がよみがえります。最後は、第1楽章の冒頭のレチタティーヴォ を回想して、緊迫感が保たれたまま、曲は閉じられます。
(ヴィオラS)
2019年8月10日土曜日
曲目解説(1)
<メンデルスゾーン トランペット序曲 作品101 >
「この少年の才能は、奇跡という言葉には収まりきらない」。12歳のメンデルスゾーンがピアノで即興演奏するのを聴いた72歳の文豪ゲーテは、驚嘆してこう語ったそうです。北ドイツのハンブルクに、裕福なユダヤ人銀行家の子として生まれたフェリックス・メンデルスゾーン(1809−1847)は、モーツァルトをしのぐかと思わせるような早熟の天才でした。祖父はカントにも影響を与えたといわれる著名な哲学者で、母親はたいへん裕福な家に生まれた教養のある女性、姉のファニーも天才的な音楽家、という恵まれた環境に育ちます。
フェリックスは、9歳で公開の演奏会に出演し、12歳から14歳にかけて12曲の「弦楽のための交響曲」を作曲します。ベルリンの屋敷の数百人が入れる大広間では、私設のオーケストラが定期的に演奏会を開いていました。メンデルスゾーンは、さらに13歳でピアノ四重奏曲を出版し、14歳で2台のピアノのための協奏曲を、そして15歳で初めてのフルオーケストラのための交響曲を発表します。そうした演奏会には、博物学者のフンボルトや哲学者のヘーゲル、作家のE.T.A.ホフマンなどが常連客として顔を見せていました。
メンデルスゾーン家は、父親の代にキリスト教に改宗していました。けれども、当時ヨーロッパに根強く残っていたユダヤ人に対する差別や迫害を、免れることはできませんでした。フェリックスはいつも自分がユダヤ人であるという意識を強く抱いていたようです。
さて、きょうお聴きいただく「トランペット序曲」は、16歳の秋に書かれた作品です。この年の春、彼は2か月の間、パリに滞在して、ロッシーニやケルビーニ、マイヤーベアなど、当時の大作曲家たちとの知遇を得ます。けれども、こうした先輩たちの作風は、メンデルスゾーンにとってさほど興味を引かれるものではありませんでした。むしろ4年後に「マタイ受難曲」の歴史的な再演をすることになるバッハに、彼は深く傾倒していたのです。
「トランペット序曲」は、序曲といっても、オペラや劇音楽のためのものではありません。のちの「フィンガルの洞窟」や「静かな海と楽しい航海」のように演奏会用序曲といわれるもので、交響詩に似かよったものといえるでしょう。もともとは「序曲ハ長調」という曲名ですが、トランペットをはじめとする金管楽器群が、そろってドの音を吹き鳴らすファンファーレで開始されるため、「トランペット序曲」と呼ばれるようになりました。ベルリンで初演されたときには、彼の代表作の一つとなる弦楽八重奏曲も同時に披露されたそうです。
曲は、金管楽器のファンファーレに、弦楽器の上行音形が続き、明るく華やかに始まります。中間部では、弦楽器が奏する分散和音の上で、木管楽器がのどやかに歌います。なお、作品番号が101と大きな数字になっているのは、出版されたのが作曲家の亡くなったあとだったためです。
「この少年の才能は、奇跡という言葉には収まりきらない」。12歳のメンデルスゾーンがピアノで即興演奏するのを聴いた72歳の文豪ゲーテは、驚嘆してこう語ったそうです。北ドイツのハンブルクに、裕福なユダヤ人銀行家の子として生まれたフェリックス・メンデルスゾーン(1809−1847)は、モーツァルトをしのぐかと思わせるような早熟の天才でした。祖父はカントにも影響を与えたといわれる著名な哲学者で、母親はたいへん裕福な家に生まれた教養のある女性、姉のファニーも天才的な音楽家、という恵まれた環境に育ちます。
フェリックスは、9歳で公開の演奏会に出演し、12歳から14歳にかけて12曲の「弦楽のための交響曲」を作曲します。ベルリンの屋敷の数百人が入れる大広間では、私設のオーケストラが定期的に演奏会を開いていました。メンデルスゾーンは、さらに13歳でピアノ四重奏曲を出版し、14歳で2台のピアノのための協奏曲を、そして15歳で初めてのフルオーケストラのための交響曲を発表します。そうした演奏会には、博物学者のフンボルトや哲学者のヘーゲル、作家のE.T.A.ホフマンなどが常連客として顔を見せていました。
メンデルスゾーン家は、父親の代にキリスト教に改宗していました。けれども、当時ヨーロッパに根強く残っていたユダヤ人に対する差別や迫害を、免れることはできませんでした。フェリックスはいつも自分がユダヤ人であるという意識を強く抱いていたようです。
さて、きょうお聴きいただく「トランペット序曲」は、16歳の秋に書かれた作品です。この年の春、彼は2か月の間、パリに滞在して、ロッシーニやケルビーニ、マイヤーベアなど、当時の大作曲家たちとの知遇を得ます。けれども、こうした先輩たちの作風は、メンデルスゾーンにとってさほど興味を引かれるものではありませんでした。むしろ4年後に「マタイ受難曲」の歴史的な再演をすることになるバッハに、彼は深く傾倒していたのです。
「トランペット序曲」は、序曲といっても、オペラや劇音楽のためのものではありません。のちの「フィンガルの洞窟」や「静かな海と楽しい航海」のように演奏会用序曲といわれるもので、交響詩に似かよったものといえるでしょう。もともとは「序曲ハ長調」という曲名ですが、トランペットをはじめとする金管楽器群が、そろってドの音を吹き鳴らすファンファーレで開始されるため、「トランペット序曲」と呼ばれるようになりました。ベルリンで初演されたときには、彼の代表作の一つとなる弦楽八重奏曲も同時に披露されたそうです。
曲は、金管楽器のファンファーレに、弦楽器の上行音形が続き、明るく華やかに始まります。中間部では、弦楽器が奏する分散和音の上で、木管楽器がのどやかに歌います。なお、作品番号が101と大きな数字になっているのは、出版されたのが作曲家の亡くなったあとだったためです。
(ヴィオラS)
2019年8月4日日曜日
近況報告
第11回定期のリハーサルも盛り上がって参りましたが、来年の第12回定期の準備も進めております。
まず、開催日時と会場が決定致しましたのでお知らせします。
ジャパン・クラシカ第12回定期演奏会
日時:2020年8月30日(日) 13:30開演
会場:第一生命ホール
プログラム等は鋭意検討中ですが、お客様にも、出演メンバーにも喜んで頂けるよう企画して参ります。どうぞご期待ください。
さて、今回の第11回定期ですが、2回目となるソロ合わせを行いました。リハーサルの録音を聞きながらこの文章を書いていますが、とても幸せな時間です。残念なことに、この幸せはこの夏の刹那だけの幸せですが、本番までの20日間、存分に楽しみたいと思います。
この幸せをご来場くださるみなさまと共有できたら最高ですね。
まず、開催日時と会場が決定致しましたのでお知らせします。
ジャパン・クラシカ第12回定期演奏会
日時:2020年8月30日(日) 13:30開演
会場:第一生命ホール
プログラム等は鋭意検討中ですが、お客様にも、出演メンバーにも喜んで頂けるよう企画して参ります。どうぞご期待ください。
さて、今回の第11回定期ですが、2回目となるソロ合わせを行いました。リハーサルの録音を聞きながらこの文章を書いていますが、とても幸せな時間です。残念なことに、この幸せはこの夏の刹那だけの幸せですが、本番までの20日間、存分に楽しみたいと思います。
この幸せをご来場くださるみなさまと共有できたら最高ですね。
2019年8月1日木曜日
ソリスト登場
チェロの丸山先生と初合わせのリハーサルは、案の定、テンポやタイミングが合わない箇所が多数ありましたが、一度合わせてだいぶ掴んできました、次回はさらに表現に踏み込んだ練習が出来そうです。
今回の合わせで特に拘ったポイントは、弱音のバランスですね。お客様にも是非感じて頂けたら嬉しいです。
ソロ合わせの後には弦楽器と木管のセクションに分かれてトレーナー分奏を行い、弦セクションは丸山先生に指導をお願いしました。
非常に濃密で有意義な練習になりました。沢山ありすぎて書ききれませんが、中でも特に印象に残ったキーワードは、
・スモールボウ(長い音は小さく弓を使う、短い音は大きく使う)
・ダウンアップ(弓順)でもシングルタンギングのように
・メンデルスゾーンはロマン派にいるモーツァルトなように、いつも美しく
などなど。
分奏のあとの反省会も大変盛り上がったようです、日曜日の夜でしたが…
今回の合わせで特に拘ったポイントは、弱音のバランスですね。お客様にも是非感じて頂けたら嬉しいです。
ソロ合わせの後には弦楽器と木管のセクションに分かれてトレーナー分奏を行い、弦セクションは丸山先生に指導をお願いしました。
非常に濃密で有意義な練習になりました。沢山ありすぎて書ききれませんが、中でも特に印象に残ったキーワードは、
・スモールボウ(長い音は小さく弓を使う、短い音は大きく使う)
・ダウンアップ(弓順)でもシングルタンギングのように
・メンデルスゾーンはロマン派にいるモーツァルトなように、いつも美しく
などなど。
分奏のあとの反省会も大変盛り上がったようです、日曜日の夜でしたが…
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