2018年9月14日金曜日

曲目解説(3)

ブラームス 交響曲第1番ハ短調、Op.68
 1876年完成

 ベートーヴェンを意識するあまり着想し始めてから約21年の歳月を経て世に出されたといわれる交響曲。なぜ、こんなにも時間がかかってしまったのか。
 とにかくブラームスという人は、自己否定が強く、内向的で、完璧主義者といいましょうか……。18歳以前に作曲したものは自身の手によって処分され、残っていないということです。しかも、わざわざ楽譜を返してくれるよう手紙を出し、取り戻したともいわれています。その数、150曲余りにも及ぶといいます。
 さて、作曲家にとって交響曲を書くということは、楽曲自体、大規模でもありますし、自分の渾身の大作を残そうと思うとかなりのプレッシャーのかかることでしょう。しかも、この時代以前のハイドンやモーツァルトが活躍した古典派といわれる時代には交響曲は完成され、ベートーヴェンという鬼才が現れ、大きな発展をし、ある意味、新しいことはやり尽くされたような時代に、音楽界に生まれてきた訳で。そんな音楽の流れを古いものと思わず、敬意を抱き、よく研究してきたブラームスにとって、また、かの性格ゆえ“交響曲” というものへの特別な思いは計り知れません。それが21年の歳月だったのでしょう。
 1876年11月4日、フェリックス・オットー・デッソフ指揮、カールスルーエ宮廷劇場管弦楽団が初演。初演後も改訂が続けられ、決定稿が出版されたのは翌年1877年でした。
 完成した時には43歳で、芸術・文化の中心地ウィーンにおいて、彼は作曲家として、またはウィーン楽友協会の音楽監督としてもすでに活躍をしていた歳です。そんな彼がまだ交響曲を1曲も世に出していなかったとは!また出さずして、こんなにも音楽家として成功を収めていたなんて!さぞかし、この作品が発表された時には、随分と注目をされたことでしょう。それが分かるちょっとした事件が、初演が行われたその年にありました。イギリス、ケンブリッジ大学から名誉博士号を授与したいと申し出が来ます。これには、授与式と特別演奏会が用意されました。堅苦しい式典や名士扱いされるのを嫌がったブラームスは渋っていたそうですが、同じく授与の申し出をもらっていたヨアヒム(長年来のブラームスの音楽の友人であり、先輩)やクララ・シューマンなどの勧めにより、イギリス行きが準備されました。しかし、その特別演奏会では完成目前の第1番目となる交響曲が披露されるのではないかと噂をされてしまい、会場までも熱狂的に「自身による演奏を希望」と発表してしまうのでした。その騒ぎを耳にしたブラームスは「忙しくなって伺うことができなくなった」、「船が怖くて乗れない」などと言ってキャンセルしてしまったとのこと。せっかく書き上げた初の交響曲とそれを期待する聴衆に対しても、この対応。芸術という自己表現の世界に身を投じているのに、内向的という矛盾した性格の複雑なブラームスが垣間見られます。
 自分の作品に関し、滅多に口にしないブラームスが、唯一語った言葉「音の中で私は語っている」。誰しも聴けば、この作品にかけた長い人生と交響曲への情熱を曲から感じることができるでしょう。さぁ、ブラームスの力強い音楽の鼓動が打ち始めます。

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