2019年8月10日土曜日

曲目解説(1)

<メンデルスゾーン  トランペット序曲 作品101  >
 「この少年の才能は、奇跡という言葉には収まりきらない」。12歳のメンデルスゾーンがピアノで即興演奏するのを聴いた72歳の文豪ゲーテは、驚嘆してこう語ったそうです。北ドイツのハンブルクに、裕福なユダヤ人銀行家の子として生まれたフェリックス・メンデルスゾーン(1809−1847)は、モーツァルトをしのぐかと思わせるような早熟の天才でした。祖父はカントにも影響を与えたといわれる著名な哲学者で、母親はたいへん裕福な家に生まれた教養のある女性、姉のファニーも天才的な音楽家、という恵まれた環境に育ちます。
 フェリックスは、9歳で公開の演奏会に出演し、12歳から14歳にかけて12曲の「弦楽のための交響曲」を作曲します。ベルリンの屋敷の数百人が入れる大広間では、私設のオーケストラが定期的に演奏会を開いていました。メンデルスゾーンは、さらに13歳でピアノ四重奏曲を出版し、14歳で2台のピアノのための協奏曲を、そして15歳で初めてのフルオーケストラのための交響曲を発表します。そうした演奏会には、博物学者のフンボルトや哲学者のヘーゲル、作家のE.T.A.ホフマンなどが常連客として顔を見せていました。
 メンデルスゾーン家は、父親の代にキリスト教に改宗していました。けれども、当時ヨーロッパに根強く残っていたユダヤ人に対する差別や迫害を、免れることはできませんでした。フェリックスはいつも自分がユダヤ人であるという意識を強く抱いていたようです。
 さて、きょうお聴きいただく「トランペット序曲」は、16歳の秋に書かれた作品です。この年の春、彼は2か月の間、パリに滞在して、ロッシーニやケルビーニ、マイヤーベアなど、当時の大作曲家たちとの知遇を得ます。けれども、こうした先輩たちの作風は、メンデルスゾーンにとってさほど興味を引かれるものではありませんでした。むしろ4年後に「マタイ受難曲」の歴史的な再演をすることになるバッハに、彼は深く傾倒していたのです。
  「トランペット序曲」は、序曲といっても、オペラや劇音楽のためのものではありません。のちの「フィンガルの洞窟」や「静かな海と楽しい航海」のように演奏会用序曲といわれるもので、交響詩に似かよったものといえるでしょう。もともとは「序曲ハ長調」という曲名ですが、トランペットをはじめとする金管楽器群が、そろってドの音を吹き鳴らすファンファーレで開始されるため、「トランペット序曲」と呼ばれるようになりました。ベルリンで初演されたときには、彼の代表作の一つとなる弦楽八重奏曲も同時に披露されたそうです。
 曲は、金管楽器のファンファーレに、弦楽器の上行音形が続き、明るく華やかに始まります。中間部では、弦楽器が奏する分散和音の上で、木管楽器がのどやかに歌います。なお、作品番号が101と大きな数字になっているのは、出版されたのが作曲家の亡くなったあとだったためです。
(ヴィオラS)

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