2019年8月11日日曜日

曲目解説(2)

<エルガー  チェロ協奏曲 ホ短調 作品85>
 バロック時代に活躍したヘンリー・パーセルのあと、イギリスには長い間、世界的な作曲家が現れませんでした。エドワード・エルガー(1857−1934)は、まさに待ち望まれた国民的作曲家だといっていいでしょう。彼は、ウスターソースの名前のもとになったイングランド中西部の町ウスターにほど近い小さな村に生まれました。父親はピアノ調律師で教会のオルガニスト。ヴァイオリンも玄人はだしの腕前でした。母親は文学好きで、エドワードに深い愛情を注ぎ、大きな影響を与えたといわれています。
 エルガーは、幼いころからピアノやヴァイオリンを習い、作曲を始めてはいたものの、家が貧しかったため、正式な音楽教育は受けていません。ほとんど独学で作曲を身につけた彼が、初めて名声を得たのは、41歳のとき、「エニグマ変奏曲」によってでした。
 エルガーは32歳のとき、8歳年上のアリス・ロバーツと結婚します。婚約の記念に彼女に贈った曲が「愛の挨拶」でした。アリスの両親の反対を押し切っての結婚だったため、彼女は親から勘当されてしまいますが、生涯を通じて、エルガーに献身的に尽くしました。マネージャー役を務め、夫が落ち込んでいれば慰め、作品に対して的確な助言を与え続けたのです。
「エニグマ変奏曲」で世に出てからも、作曲家としてのエルガーは、順風満帆だったわけではありません。1908年、53歳のときに発表した交響曲第1番は大喝采を受けたものの、2年後の交響曲第2番はさほど評価されず、さらに2年後の交響的習作「フォルスタッフ」はさらに不評でした。彼の作品は、もはや古くさいものと受け取られていたのです。そして第一次世界大戦が、彼の気力の減退に追い打ちをかけます。
 エルガーの創造力が最後の輝きを見せたのは、彼が60歳を迎えた1917年以降のことでした。このころ、妻のアリスの体調が優れなかったため、夫婦はイングランド南部のウェスト・サセックス州の山荘を借りて、ロンドンから移り住みます。二人にとってお気に入りの環境でした。エルガーは「森の木々がぼくの曲を歌っている。いや、ぼくが彼らの歌をうたうのだろうか」と語り、アリスは「森の魔法」と呼びました。ここで、ヴァイオリンソナタ、弦楽四重奏曲、ピアノ五重奏曲などの美しい作品群が次々に生まれ、1919年、最後にできあがったのが、きょうお聴きいただくチェロ協奏曲なのです。けれどもその明くる年、アリスは71歳の生涯を終えます。最愛の人の死に打ちのめされたエルガーは、その後、二度と大きな作品を仕上げることはできませんでした。
 チェロ協奏曲は、初演のときには、練習時間が不足していたためもあって、評判は芳しくありませんでした。けれども、この曲を最初に録音した女性チェリスト、ビアトリス・ハリスンが何度も根気よく採り上げたこともあって、だんだんと人気を博するようになりました。
 第1楽章 アダージョ〜モデラート。いきなり独奏チェロが最強音で重音を奏し、おごそかなレチタティーヴォで幕を開けます。アリスの死を予感するような、悲痛な響  きのこもった、きわめて印象的な導入部です。ヴィオラがひそやかに奏でた第一主題を独奏チェロが引き継いで歌い上げたあと、木管楽器に導かれて第二主題が現れます。
 第2楽章 レント〜アレグロ・モルト。第1楽章から切れ目なしに演奏されるスケルツォ風の楽章です。といっても、軽い冗談というより、焦燥感をかきたてられるようです。  独奏チェロの繊細な技巧が聴きどころでしょう。
 第3楽章 アダージョ。あこがれの思いを込めた優しい歌を、独奏チェロが、長い息づかいでうたい続けます。
 第4楽章 アレグロ〜モデラート〜アレグロ・マ・ノン・トロッポ〜ポコ・ピウ・レント〜アレグロ・モルト。オーケストラが生き生きと奏でる第一主題に続いて、独奏チェ  ロのカデンツァへ移ります。甘やかな第二主題が現れたあと、第3楽章を思わせるようなゆるやかな歌がよみがえります。最後は、第1楽章の冒頭のレチタティーヴォ  を回想して、緊迫感が保たれたまま、曲は閉じられます。
(ヴィオラS)

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